代表プロフィール

成果が出るまで伴走するウェブコンサルタント
木村 太一(キム兄)

生年月日:1992年7月27日
出身:東京生まれ滋賀育ち
動物占い:大器晩成のたぬき

別名、常識にとらわれている人から嫌われるWebクリエイター

主な実績

  • HP新規制作 → 公開後1年半で満室(英語教室)
  • 収益ポイント最適化&HP改善アドバイス → 目標月商50万円2度達成(占いの先生)
  • 強み整理&売れるコンセプト作成 → 独立後3ヶ月でウェブ集客成功(ICセラピスト)
  • 問合せが年1~2件しかなかったHPリニューアル → 1ヶ月で22件お問合せが入るまでに(キッチンカー製作販売店)

メディア出演歴

  • 2019年5月~12月 BBC『勇さんのびわ湖カンパニー』にレギュラー出演
2019年9月 TV出演

マーケティングからウェブ制作まで一貫してプロデュースし、あなたの商品・サービスを求めてくれるお客様との出会いを提供しています。

「売れなきゃ意味がない」という信念のもと、幅広い業種・業界の集客型ホームページを制作してきました。

 

その結果、

英語教室が満室状態になったり、

問合せが年1~2件しかなかったHPが月20件以上お問合せが入るようになったり、

僕自身、テレビ出演の機会もいただいたりしています。

ストーリー

なぜ僕がウェブ制作やマーケティングの仕事をするようになったのか・・・?

普通に生きられなかった過去の出来事について、詳しくお伝えさせてください。

長くなりますが、僕の想いに共感していただけたら嬉しいです。

1992年、生まれる

生後すぐの木村太一
生後まもない頃

東京都立川市で長男として生まれました。

1歳のとき、父の転勤で滋賀県に引っ越しました。

幼少の頃から、山遊びや川遊びをしたり、走り回ったり、わんぱくでした。

幼少期の木村太一
家の前で走り回っていた幼少期

小学生時代

小学校になると友達ができ、野球・サッカーやカードゲームをして遊ぶようになりました。

一方で、“トゥレット症候群”という原因不明の難病を発症し、人間関係で悩むようになりました。

チックとは、目的のない同じような不随意運動が素早く不規則に繰り返される現象(運動チック)や、意図しない音や言葉が突然(しばしば)繰り返し発せられる現象(音声チック)です。チックは意識的に努力することで短時間だけ抑えることができます。トゥレット症候群は、1年以上にわたって運動チックと音声チックの両方がみられるときに診断されます。

引用:MSDマニュアル家庭版(https://www.msdmanuals.com/

強いまばたきやピクッとする動きを繰り返すチックという症状が、慢性化し、重症化したものがトゥレット症候群です。

この難病はあまり知られておらず、学校の友達、先生、近所の人などに理解してもらうのに苦しみました。

「うるせぇ!黙っとけ!」と一方的に言われることが増え、だんだんと「人とは関わらないでおこう」と思うようになりました。

いじめに遭った中学生時代

中学生時代の木村太一の画像
中学生時代

中学に入るとトゥレット症候群がさらに重症化し、あっという間にいじめの対象になりました。

相手は地域で実権を握っている“ヤンキー”たちで、ひとりの力ではどうにもなりませんでした。

彼らは気性が荒くナイフを持ち歩いているので、やり返そうものなら少なくとも肋骨の1~2本は覚悟しなければなりません。

周りの支えも虚しく

学校に行くと毎日にように暴言を吐かれました。

「死ねばいいのに」
「お前が生まれてきたのがミス」
「人間の出来損ない」
「まだ死んでなかったんかお前」
「さっさと殺したろか!」
・・・・・・

挙げればキリありませんが、
それでも怒らせたらどうなるか分からない、、

それが怖くて、蹴られても、殴られても、ニコニコと笑顔を作っていました。

 

そのストレスから、トゥレット症候群はますます重症化しました。

その結果さらにいじめがエスカレートするという、まさに悪循環でした。

両親は「どうしたら学校に通えるのか?」一生懸命、考えてくれました。

学校の先生も、イジメがなくなるように頑張ってはくれたのですが、、、ヤンキーにはまるで歯が立ちませんでした。

イジメを祖母に打ち明ける

「もう、学校に行くのはやめよう」

そう決心して、祖母にイジメのことを打ち明けました。

すると「中学くらいちゃんと行きなさい。将来働けないから。」と言われたのです。

てっきり“応援してくれるもの”と信じていた僕にとって、ドッカーンと後頭部をハンマーで殴られたような、強烈な一言でした。

 

「学校に行かないと働けないのか、、、人生が終わるんだ」

なんだか、これまで感じたことのなかった恐怖のような重たいものが込み上げてきて、身の毛がゾッとよだちました。

その日から、「自分の気持ちはなかったことにしよう」と決め、学校に通うことにしました。

トラウマを引きずった高校時代

高校に入るとイジメはなくなりましたが、相変わらず重症化したトゥレット症候群に苦しみました。

いじめのトラウマから対人不安を発症しました。

周りから“悪いもの”見るかのような視線をずっと浴びていたせいか、

自分の気持ちを抑え込んでは、相手の顔色を伺い、相手が喜びそうなことを言う・・・そんな癖がついていました。

 

学校にいる間はそれでよかったのです。

ですが家に帰って布団に入ると、いても立ってもいられないくらい辛くなります。

中学のときに言われた言葉を思い出して、「やっぱり出来損ないだったのかも知れない」と思い涙が出てくるのです。

入学時には上のほうだった成績も、気づけば下のほうまで落ちていました。

決めた進路

高校3年の春、進路を決めるときがやってきました。

「コミュニケーションが下手な、トゥレット症候群の自分でもできる仕事ってなんだろう・・・」と考えました。

幼い頃からパソコンが大好きだった僕は「電子デバイスの研究者になろう!」と思いました。

 

「研究職なら、営業と違ってコミュニケーションが要らない。それに、理系だから給料も高い!」

「なんて素晴らしい考えを思いついたんだ!」と、自分のことを褒めちぎりました。

 

その日から、何かに取り憑かれたかのように、受験勉強に打ち込みました。

毎日、毎日、、

朝・昼・晩・深夜、、、

「大学にさえ行けば人生が変わる!」

ただそれだけを考えてひたすら頑張りました。

 

そして、やってきた合格発表の当日。

緊張のあまり手に汗をかきながら、合否判定サイトに自分の受験番号を入れると・・・

 

「おめでとうございます。あなたの結果は、
“合格”
です。・・・・」

ついに、大学合格を手にしたのです。

生まれて初めて、真剣な努力をして掴み取った合格、、あまりの嬉しさから鳥肌が立ち、両手でガッツポーズをしました。

楽しい大学生活がはじまる

大学に入ると、それまでの苦しい日々から嘘のように好転しました。

授業は難しかったですが、それでも1つずつ理解できるたびに、「これは面白い!」と思いました。
“最新の技術”を学んでいることに、やりがいも感じました。

軽音サークルにも入り、ベースを担当しました。バンドを組んでライブを開いたり、飲み会に参加したりと、とにかく充実しました。

当時組んでいたバンドのライブ画像
バンドでベースを担当(左)

 

単位も順調に取れて、サークルも楽しい!

相変わらずトゥレット症候群には悩まされていましたが、
それでも初めて女友達ができたりことも楽しみの1つでした。笑。

「将来、この分野でスペシャリストになれる!人生も安泰!」
そう確信しました。

大学3年になり、第一希望だった電子デバイスの研究室に配属されました。

研究に打ち込むはずだったが・・・

憧れの研究がスタートしました。

「この研究が上手く行けば、いい会社に就職できる!理系だから給料も良くて、将来家族も養える!」

期待感にあふれていた僕は、中学・高校時代の苦しみなどすっかり忘れていました。

 

ところが、、

あれだけ憧れていた研究に、だんだんと身が入らなくなってきました。

研究室にずっといることよりも、他学部で違うことを学んでいる友人たちと話している方が、よほど楽しいと感じたのです。

“大きさわずか数百ミクロンのチップの配線”を試行錯誤する研究に、最初はワクワクしていたものの、夏が終わる頃には息苦しさを感じるようになっていました。

研究しなければ卒業できないと頭では分かっていた

「留年してたまるか!」

そう自分に言い聞かせ、心身にムチを打って頑張りました。

でも頑張れば頑張るほど、心身は疲れ果てていくのです。

毎日、毎日、朝から晩まで研究室にこもる日々に、とうとう耐えきれなくなり、

動く気力が完全に切れてしまいました。

楽しい大学生活から一転

うつ病でした。

 

「なぜ自分というやつは、これくらいのこともできないんだ」

「なぜトゥレット症候群にならなきゃいけないのか?」

「やっぱり出来損ないだったのか」

 

家から一歩も出られないこと、何もできないことへの罪悪感から、自分を責め、運命を恨みました。

無気力になり「楽になりたい」という唯一の欲求を満たすために、昼間から酒を飲んではつかの間の心地よさを味わいました。

研究のテーマを達成できず、ついに留年が決まりました。

 

同じ研究室には、名だたる企業に負けないくらい成果を出している優秀な先輩もいました。

「学生レベルの研究ができないようでは、これを仕事になどできるはずながい」と、研究者になる夢を諦めました。

目標を失ったことで訪れた変化

夢も目標も失い、何もやることのない春休み。

“うつ病のどん底”から少し回復してきたころ、ぼんやりと今までのことを振り返ってみました。

 

楽しかった大学1・2年のこと・・・

バンドでベースを弾いていたこと・・・

対人不安になった高校時代・・・

いじめに耐え続けた中学時代・・・

何度も何度も自殺しようと思ったけど怖くてできなかったこと・・・

 

これまで乗り越えてきた苦しい出来事を思い返すうちに、「心身が必死で生きようとしているんだ」ということに、ハッと気が付きました。

「どうせ死ねないのなら、やれるところまでやってやろう!」
そう開き直れるようになってきたのです。

図書館に通い、うつ病や心理学について学ぶ

まずはうつ病を治すことからです。

図書館に通い、うつ病や心理学についての本を読み漁りました。

ノートを書く、運動、瞑想、感情日記など、治りそうなものはとにかく何でも取り入れました。

 

かなりの試行錯誤を繰り返した末、ついにうつ病を克服しました。

これまで、自分の感情をないがしろにしていたことに気付きました。

後悔したくなりましたが、でもそれは当時、自分なりに必死に考え出した“生きる戦略”だったことも知り、ちょっとした愛おしさも感じるようになりました。

『自分の意志で選択し、決定し、行動することの大切さ』を、長い時間をかけて学んだのです。

 

「焦らず、イチからやっていこう」
そう思えるようになりました。

「ストレスでトゥレット症候群がひどくなっても、どうだっていい」と開き直り、今までのブランクを取り戻すかのように無我夢中で行動しました。

 

運転免許の取得、一人旅、カフェ巡り、他学部の授業に潜入、ブログ、人脈づくり、、、

挑戦すればするほど、だんだんと楽しくなってきました。

祖母の死

そんな蒸し暑い夏のことです。

突然、「祖母が亡くなった」と、知らせが入りました。

いじめを受けていた中学時代、僕は「中学校くらい行きなさい」といった祖母のことを嫌いになり、ほぼ顔を合わせなくなっていました。

 

そんな祖母が、僕が生まれたとき誰よりも喜んでいたこと、

「心の太い、成功者になってほしい」と願って『太一』という名前を授けてくれたこと、

大学に受かったとき誰よりも喜んでいたこと、

顔を出さない僕のことをずっと心配し、応援してくれていたこと、、

 

そんな話を父から聞いたとき、どっと涙が溢れました。

「なんて酷いことをしたんだ」と、無償の愛に仇で返したことを悔みました。

「おばあちゃん、絶対に成功するから!幸せになるから!」と、動かぬ祖母に約束しました。

起業を決意

祖母の死から1週間後、、

大学5年生だった僕は起業することを心に決め、税務署に開業届けを出しにいきました。

1人でホームページ制作事業を回すため、スキルは独学で学びました。

 

1年伸びた大学卒業も無事決まり、
「これで事業に打ち込める!」と、大きな期待感にかられて自社ホームページを公開しました。

「さぁお問合せを待つのみ!」と、お問合せが入るのを待っていました。

 

ところが、、

 

どれだけ待っても、1件のお問合せも入ってきませんでした。

1ヶ月、2ヶ月、と時間だけが過ぎるばかりで、貯金は日に日に減っていきました。

まさかの大失敗

気がつけば「どうやって仕事を取ろう」ではなく「どうやってお金を稼ごう」ばかり考えていました。

そんなとき、“いい話”が耳に入ってきました。

 

「収入を得るには、相応の努力が必要」

ということを忘れて、

すぐに飛びついてしまいました。

ある日、異変が発生

“その日”は突然やってきました。

貯金が底をついてしまったのです。

「お金がない!どうしよう!」

通信費さえ払えない状況になり、夜勤のアルバイトをして食いつなぎました。

 

いい話に乗っかっている場合ではなくなり、ようやく我に帰りました。

仕組みがいいとか、リターンがいいとか、理屈ばかりで動いていることに気付いたのです。

「自分の気持ちに嘘をついたら、幸せを感じることはできない」ということを思い知りました。

ホームページ制作事業に集中しよう!

あまりの浅ましさに自分でも笑うしかありませんでした。

「何のために起業したのか?」

原点に立ち返り、改めてホームページ制作事業に専念することにしました。

 

自社のホームページデザインを一新しました。ブログを更新し、SEO対策も行い、検索上位に出てくるようになりました。

 

しかし、、

仕事がないどころか、1件のお問合せさえ入りませんでした。

 

「どうしたらお問合せが入るんだろう・・・」

同業者のHPを見て回り、値段を下げたり、サービスを増やしたりしても効果はなく、、ただただ時間だけが過ぎていきました。

うつ病の友人が…

仕事がないまま、事業スタートから1年が経とうとしたころ・・・

夜中9時半頃、、スマホを開くと不自然にも友人から多数の着信が入っていました。

「どうしたんやろう・・・」

折り返すと、

「驚かずに聞いてくれ。

◯◯(友人)が自殺した。」

あまりの突然のできごとに、言葉を失いました。

 

ドッキリか?

後でアイツが「死んでるわけないやろ!」と笑って出てくるんじゃないか?

「ドッキリであってくれ…」と何度も心の中で叫びました。

 

彼が仕事のストレスでうつ病になったことは知っていました。

うつ病を克服した僕に「どうやったら治せるのか?」と、いつも相談してくれていたからです。

 

お通夜の日。

棺の扉を開けると友人がいました。

顔は冷たく、青く白くなっていて、たくさんの花と、大好きだったバンドのCDに囲まれて眠っていました。

「お前の分も、生きていく。」そう約束をして、式場を後にしました。

 

大学時代、一緒に音楽について語り、一緒に楽器を練習していた仲でした。

サークルのライブでは、全裸で走り回るような元気なヤツでした。

なのになぜ、追い込まれるまでに仕事を頑張ってしまったんだろう・・・

かつて自分もうつ病になったことを思い出し、「自殺せずに済んだのは、運が良かっただけかもしれない」と思いました。

はじめての制作依頼

こんな経験をしたからこそ伝えられることはないか・・・

そう考えるうちに、仕事への想いが「稼ぎたい」ではなく「誰かの力になりたい」に変わっていきました。

すると、そのわずか1週間後、初めての仕事依頼が入ってきたのです。

当時の僕にとって驚くほど高額案件でした。

満足してほしい!という一心でヒアリングし、デザインし、制作しました。

公開後のブログの書き方や操作方法も丁寧にレクチャーしました。

 

すると「とても丁寧にやってくれる!」と評判になり、次々と制作案件が舞い込んできました。

うちのホームページも作って欲しい、

ランディングページを作って欲しい、

ワードプレスのテーマを作って欲しい、

などなど、仕事がなかった頃から一転して、仕事がどんどん増えていったのです。

 

ありがたいことに、素敵なクライアントにも恵まれました。

僕が新米であることを理解してくれたのです。

至らない点には「これはダメ、こうだよ」と、愛ある指導をいただきました。

 

「役に立てなきゃ意味がない」という想いで仕事に励みました。

仕事をすればするほど、満足していただけれるクライアントも増えていきました。

 

気付けば口座残高も一気に増えていました。

「これで上手くいく!」
僕は、有頂天になりました。

存続の危機

しかし間もなく、トラブルがやってきました。

制作物とクライアントの要望が噛み合わないのです。

 

延々とやり直しが発生し、「満足してほしい」という一心で対応しました。

ですが結局、満足はしてもらえませんでした。

思い切ってクライアントに聞いてみました。

「何がダメだったのですか?」

 

すると、

「マーケティングだよ」

と言われたのです。

制作だけでは喜んでもらえない

クライアントからの率直なフィードバックは、当時、制作することばかり考えていた僕にグサッと刺さりました。

以来、あらゆるマーケティングセミナーに通い、集客のこと、SNSのこと、ブログの書き方などを学んでは、片っ端から実践しました。

 

何がどうだったら良いホームページになるのか?

ブログはどう書けばいいのか?

何をどう伝えたら見込み客の心に届くのか?

学ぶだけでなく、自分でも試行錯誤を繰り返しました。

 

これまでウェブ屋の仕事はきれいなデザインと制作だと思っていました。

それがマーケティングを学んだことで、根本的に間違っていることに気付かされたのです。

マーケティングが実を結ぶ

『マーケティング』というものを理解するにつれ、ホームページや広告の見え方はまるで変わってきました。

クライアントがポロッと話す一言、交流会での会話、その1つ1つにヒントが見えてきたのです。

 

「役に立ちたい」と思って制作したのに満足してもらえない・・・

そんな痛い失敗をきっかけに、サービス内容、提供の仕方、すべてを根本から見直しました。

 

デザインや制作技術はもちろんですが、それ以上に、クライアントの想いに寄り添い、その先にある目的達成のために全力で挑むことを大切にするようになりました。

 

そうして、やっと結果が出るようになりました。

これまでは「丁寧にやってくれた」というような姿勢に対しての満足でしたが、今では姿勢だけでなく結果に対しても満足してもらえるようになりました。

満足していただいたクライアント様
満足していただいたクライアント様

今ではもともとの強みだった「親切丁寧なサポート」を活かしながら、「売上を伸ばし、長期的に安定させること」を第一目標としています。

懇切丁寧なサポート
懇切丁寧なサポート

家族ぐるみで付き合いのあるクライアントにも、恵まれるようになりました。

クライアント(右)と僕(中央)と僕の妻(左)と

クライアントから

「初めて高額商品が売れました!」
「ブログの使い方が明確になりました」
「こんな丁寧にサポートしてくれたのは初めてです!」

といった感謝の言葉をいただけるたびに、「苦しいこともあったけど諦めなくてよかった」と心から実感しています。

同時に「自殺しなくてよかった」と安堵しています。

自分が輝ける場所で努力すればいい

先にも述べましたが、もともと僕は、決して順風満帆な人生を送っていませんでした。

どちらかというと苦しみや挫折のほうが多かったです。

うつ病の友人もなくしてしまいました。

 

そんな経験をしたからこそ、伝えたいことがあります。

それは『合わない場所で無理しなくてもいい。自分が輝ける場所をみつけて、そこで努力すればいい』ということです。

これを逃げという人もいるかも知れません。

しかし自分の気持ちに嘘をつくことのほうが、もっとも大切な自分からの逃げだと思うのです。

 

就職できなくて自殺する、

中学生でいじめられて自殺する、、

借金をかかえて自殺する、、、

追い込まれて判断力をなくす前に、たった1度でいいから勇気を出して1歩外に出る行動を取ってほしいと思います。

「この仕事をやめたら、食っていけないんじゃないか?」

「ここで頑張れなかったら、他のどこに行っても同じじゃないか?」

と不安になる気持ちも分かります。

僕も自殺を考えていたとき、そう思い込んでいたからです。

でもそんな心配は杞憂に終わりました。

 

会社の上司、家族、友達から言われる

「お前に起業なんて無理やで」
「ここでやっていけないお前が他でやっていけるわけがない」
「社会は厳しいぞ!」

などの、もっともらしく聞こえる言葉の数々・・・

 

断言します。

それらはすべて嘘であり、洗脳です。

1人でも成功できる人を増やしたい

会社員経験も、大したスキルもなく、僕は起業という1歩を踏み出しました。

それでも今、得意なことが仕事になり、クライアントに貢献でき、テレビ出演という貴重な経験もできるようになりました。

 

しかし、僕だけが上手く行っているのでは、まだまだ不十分です。

いくら「自分らしく輝ける場所で努力すればいい」と言っても、「たまたま上手くいっただけでしょ」と思う人がいます。

僕1人の力では説得力が足りないのです。

 

だからこそ、個人事業主や起業家の方にはいち早く、幸せに生きらえる収入をまずは手にしてほしいです。

そして「どんな人でも自分らしく輝ける場所がある」ということを証明し、いま人知れず苦しんでいる方に希望を届けてほしいのです。

どんな自分でも受け入れてほしい

物心がついたときから、僕は何かにつけて自己否定をする癖があり、トゥレット症候群という難病も患いました。

うつ病にもなりましたが、「どんな自分も受け入れよう」と考え方を変えたことで克服し、トゥレット症候群も不思議と快方にむかいました。

 

実をいうと、

トゥレット症候群は、完全には治っていません。

咳払いをしたり、突発的に声が出てしまうこともありますが、でもあまり気にしなくなりました。

そんな自分のことも、受け入れられるようになったからです。

 

それよりも仕事を通してクライアントに喜ばれ、休みの日は奥さんと過ごし、旅行やドライブを楽しめていることが何より幸せです。

 

上手くいっている個人事業主や起業家が増えれば、もっと多くの人が希望を持つことができます。

「どうせ無理」と足を引っ張る人が減り、自分を押し殺してストレスを抱える人が減っていきます。

仕事もプライベートも充実している人が増えること、それが、あらゆる社会問題を解決する最良の方法なのです。

 

すべての人が物心両面の豊かさを手にし、自分らしく輝いている世界を実現する。

それが僕の、ユーズアイとしてのビジョンです。

抽象的ではありますが、人間が求めているのは幸せであり、幸せを数値化できない以上、仕方がないのです。

悩みの渦中にいる方へ

今はまだ、先が見えないかも知れません。

「本当に人生が好転するだろうか?」と不安かも知れません。

 

僕自身、難病を抱えたり、うつ病になったり、、

「こんな自分は、生まれてこなければよかった」と何度も何度も思いました。

 

でも、それらを克服した今、強く感じていることがあります。

それは、「人はみな、幸せに生きる力を持っている」ということです。

 

たった1度でいいから、ありったけの勇気を振り絞ってください!

未来は、必ず変えられます!

 

ウェブコンサルタント
木村 太一